緻密な仕事の積重ね

修学院離宮、竹垣

6/16の竹垣でも触れましたが、ありふれた素材を精緻に仕上げています。
竹を並べた縦のリズムとそれを留める釘の横のリズムが
別々のレイヤを重ね合わせたような重層する表情を醸し出しています。
 
 
 
 
 
その竹垣の笠木、端部のディテール
 
山形の断面に被せた板金が数ミリ出ており、わずかに水を切ろうとしています。
ディテールというにふさわしい、緻密な仕上がりです。
 
 
 
 
 
竹垣足元の石垣
 
亀甲に象られた石が隙間なく組み合わされて
素材の風化によって、その目地すらも曖昧になっています。
 
 
これらの仕事に共通するのは、
飾り立てることではなく、緻密な仕事の積み重ねによる存在感。
 
一体どれほどの手間がかかっているのだろうと
想わずにおれない、仕事ばかりです。
 
 

不明門

その名のとおり、通ることができない門
 
それなら意味がないじゃない?と片付けてしまっては面白くない。
「開かない」、「通れない」をわざわざ存在させることに
作者が生きた時代の思想や意図が込められているのでしょう。
 
 
 
 
伏見城から移築された門は派手な意匠で強烈な存在感があります。
 
使えないものは不要か?
浅薄な常識に囚われた現代人に対し、
その問いを突きつけているようにも思えるのです。
 
 

光のスタディ

アトリエ空間のスタディ
 
建築空間にとって外から入ってくる自然の光はとても重要な要素です。
特に今回は絵画のアトリエということで
明るさや光の回り方など、より高いクオリティが求められます。
 
北面採光の理想的なかたちを求めて
開口の配置、光の入り方を模型でチェックしていきます。
 

流響院、佇まい

流響院、正面入口
 
七代目小川治兵衛親子が手がけた庭園が有名ですが
道路に面した入口部分も凛とした佇まいです。
 
 
 
 
 
竹垣の竹は独特の色合いをもつ、ややフォーマルな印象
 
 
 
 
 
道路に接する土間もデザインに富んでいます。
 
 
 
 
 
大きさや長さの違う矩形の石を組み合わせたコンポジション
モダンなパターンの構成は一歩間違うと下品になるところですが
精緻な仕事で応える/ことで品の良さを保っています。
 
 

二つの天窓

玄関ホールに天窓から光が差し込んでいます。
 
冬場には明るく暖かい光を取り入れ、
夏場にはロールスクリーンで日差しを遮り、逆に室内の熱を逃がします。
 
 
 
 
 
階段を上ったところに設けたもうひとつの天窓
 
玄関と同じように自然光を積極的に取り入れています。
それは、日々の暮らしの中で自然の微妙な変化を感じることでもあるのです。
 

素材、手間、趣き

南禅寺界隈でみつけた竹垣
 
節の位置が、意図的に一本一本ずらしてあるのがわかります。
(その証拠に、釘の高さはきれいにそろっています)
 
実際にやってみると分かりますが、
位置をそろえるより、ずらすほうが格段に難易度が高いのです。
 
節の位置をずらして堅苦しさをぬぐい、自然の風合いを生かし、
隣り合う竹どうしは、節の幅の変化に合わせて削り合わされています。
 
どこでも手に入る素材にそこまで手間をかけるのかと思うほどですが
その手間によってしか生まれない上質な繊細さと趣きが現れています。
 
 

虹ケ浜の家、内装工事

虹ケ浜の家では内装工事が進んでいます。
 
階段の床板は元の家で使われていた肥松。
できるだけ良い材料は加工し直して再利用し、
住み手にとっての時間のつながりに生かしていきます。
 
 
 
 
 

玄関ホールの天窓
 
天窓から天井までの間をラッパ状に広げて
暗くなりがちな北側の玄関をより明るい雰囲気に。
 
この天窓は雨センサー付きの開閉式、
夏の暑い間は、留守中の換気窓として熱気を外に逃がします。
 
 

固有のデザイン感覚

臨済宗大本山 南禅寺、三門
 
見るからに堂々とした荘厳な門ですが
手前の木に隠れて半分しか見えない。
 
いや、そうではなくて
あえて半分くらいしか見えないようにしているのではないか?
 
最初から全容を明かさず、奥へ奥へと導いていく
日本固有のデザイン感覚がここにもあるのかもしれません。
 
 
 

白河院

庭園に面した、全面ガラス窓の開放的なつくり
 
今回宿泊した南禅寺近くの白河院。
黒褐色に日焼けした木枠に軒の深い瓦屋根、
モノトーンで細身のプロポーションは、まるでミースの建築のようです。
 
 
 
 
 
室内から見たところ
 
庭園の緑が飛び込んで来そうなほどのパノラミックな窓。
ガラス建具の框や桟のデザインは極めて繊細、
主役である風景を生かすエレガントなデザインです。
 
現代建築でもここまでのクオリティはなかなか出せないほどの上質な空間です。