中庭と緑

城ケ丘の家、中庭と緑
 
完成からまもなく9年、
道路沿いに植えた木々も成長し、どことなく南国の風情です。
 
完成当初から使っていた日よけのシェードが破損したので
先日新しいものに取り替えました。
 
まだまだ蒸し暑い日が続きますが
この日よけシェードのおかげで
真夏の強い日差しがカモフラージュされ
中庭の気温上昇を抑えるのに貢献してくれました。
 
この家にとって貴重な余白を与えてくれる中庭と木々の緑、
夏の間も心を豊かにしてくれる貴重な時間と空間です。
 
 
 

自然と建築、そして日本の建築文化について

明治神宮の長い参道を抜けてようやく見えてきた本殿前、三の鳥居
 
左右対称の鳥居は強い正面性を示していますが
ここでも構造物はそれをはるかにしのぐ森に対し
ボリューム的にはあくまでささやかな存在です。
 
 
 
 
 
 
 
鳥居をくぐると本殿のある神域へ
両側にはご神木となる大きな楠が脇を固めています。
 
建築は自然と比べ、あくまでささやかな存在ですが
これこそが、本来の日本人の精神性なのかもしれません。
 
現代では、とかく建築ばかりが出しゃばって
緑はほんのお飾りのように扱われるのが当たり前のようになっていますが
そもそも、それは現代人のバランス感覚が狂ってきているのかもしれません。
 
本来の日本の建築文化とは
自然とのバランス感覚の中で成立しうるものではないか、
今回は、改めてそれを気づかせてくれる、とても価値ある訪問となりました。
 
 

奥ゆかしさについて

再び、4月に訪れた明治神宮の話に戻ります。

原宿駅前の一の鳥居からつづく南参道
およそ500mの長い長い参道を歩いて行きますが
この時点でその先の鳥居や本殿は全く見えません。
 
原宿のまちの喧騒は、この距離を歩く時間とともに
神聖な気持ちへと整えられていきます。
 
この長い参道は神様に対面するための
心の準備をするための空間と言えるのかもしれません。
 
 
 
 
 
長い参道の先にようやく見えてきた二の鳥居
 
 
この鳥居は日本最大のものでとても象徴的な存在なのに
その存在を大げさに主張するような位置に置かれていません。
わざわざ、南参道からは見えないように建てられているのです。
 
 
 
 
 
鳥居の高さ12m、幅17.1m、柱の直径は1.2m
(明治神宮公式サイトより)
 
本当に堂々とした鳥居です。
でも、その先にはまた森のみ、本殿は見えません。
 
あえて見えなくすることによって、
奥へ奥へと人の心をいざなっていくようです。
 
ここにはただただ鳥居だけが存在するのみで
本殿へ向かっていることをさりげなく暗示しています。
 
堂々としているのに誇張するでもなく、
その先の本殿への入口であることだけをさりげなく示す
最高にデザインされたサインのように私には感じられます。
 
 
 
 
 
朝日を受けて、鳥居のシルエットがさらに大きな影となって
参道に映り込みます。
 
見渡すかぎりあたりは森と空ばかり
そこに刻まれた鳥居の影
 
人工物なのに実体がない虚ろな存在ながら
明快なシルエットは自然との対比を成していて
もはやランドアートのような域に達しています。
 
 
 
 
 
鳥居を抜けるとその先は突き当たり、
そこで右に曲がるといよいよ本殿前の鳥居が見ててきます。
 
距離や時間、そして視線の変化や気配などを巧みに使って
実体以上の奥行き感が生み出されているのです。
 
奥へ奥へと誘うことで生まれる神という存在の崇高さが
最高の「奥ゆかしい」デザインで表現されています。
 
 
 

三宅一生さん逝く

デザイナーの三宅一生さんがお亡くなりになりました。

私は東京のK計画事務所での修行時代ご縁があり
三宅さんの会社が入居する事務所ビルを設計の際に
担当者として何度かお目にかかりました。
 
その中で、今でも心に刻まれているエピソードがあります。
 
設計の打合せで伺った三宅さんの事務所の会議室で
天井に埋め込まれたエアコンを指差して一言、
 
「なんでエアコンは天井についているんですか?」と。
 
エアコンの生暖かい風が頭の上から当たるので
集中して物事を考えるのによろしくない。
空調は人間が心地よく仕事ができるように設計されるべきではないか、と。
 
正直に言えば
三宅さんに指摘されるまで、そんなことを考えたこともありませんでした。
 
事務所ビルのエアコンは天井に埋め込まれているのが一般的で
それまで、その常識を疑うことも、気づくこともありませんでした。
 
しかし、
建築は本来、人間が心地よく過ごす場所であるはずです。
その本質から考えれば
確かにエアコンを天井につけるのは正解とは言えません。
 
もちろん、理想的な空調を実現するには
床暖房や床吹き出しなど、よりコストがかかる方法が必要なため
経済性を求められる建物では難しいかもしれません。
 
それはそうだとしても
人間にとってなにが大事なのか、ということからものづくりを考えること、
それを当たり前に実践されている三宅さんの哲学に触れたような気がしました。
 
ほかにも
現場で作業していた鉄筋工のニッカポッカ(裾広がりのズボン)を見て
その独特の形状を「とてもいいね〜」と感心したり。
 
別の機会には
ヘルメットのインナー用の紙帽子に興味を示したり。
 
とにかく
先入観にとらわれない眼差しにはとても刺激を受けました。
 
常識ではなく、人間にとっての本質からものを考えること。
 
先入観にとらわれず、純粋な感覚で感じ取ること。
 
これらは、今でも物事を考える起点になっています。
 
自分がデザインという仕事に向き合う上で
とても大切な気づきを与えてくれた三宅さん、
ただただ感謝です。
 
 
 

早く作ったものは長持ちするか?

前回、明治神宮内苑につくられた人工の杜についての話をしました。
もともと荒地だった場所に150年後に自然循環する杜をめざして計画され
見事に実現した姿を今に示していました。
 
現在、神宮外苑では再開発の計画が進められています。
 
三井不動産が公表した外苑地区再開発のイメージ
 
現在ある神宮球場や秩父宮ラグビー場を建替え、
新たに商業施設やオフィス、ホテルなどの高層ビルも計画されています。
 
再開発に伴い、
約900本の既存樹木が伐採され植え替えられるとのことで
樹齢100年以上の樹木などの景観が失われることに対して
一部には計画内容に反対や批判の声が上がっているようです。
 
既存樹木は伐採されるだけでなく、新たに植樹もされるようですが
その植樹は必ずしも土地の植生や土壌に合わないとの指摘もあります。
 
建物の大規模化による緑との景観上のバランスも懸念されるところで
将来に禍根を残さないかが気になるところです。
 
 明治神宮内苑で生み出された150年後を見据えた杜づくりと
経済利益優先にも見える神宮外苑の再開発の動き。
果たして、どちらが未来に渡って長く愛されるのでしょうか?
 
建築にはその時代の人々にとっての役割があり、
当然ながら、それに応えることが求められます。
 
一方で、目先の役割や事業の収支だけでなく、
時代を超えて長く愛され続けることも建築の重要な役目です。
 
 
「早く作ったものは長持ちするか?」
 
 
いつも考え続けている私の問いです。
 
長く、愛着が感じられる場は一朝一夕には生まれないのではないか?
焦らずに時間をかけて丁寧に丁寧に吟味しながらつくったものでしか
生まれないものがあるのではないか?
 
150年後を見据えた神宮の杜の営みを見るにつけ、そのことを思います。
 
翻って
我々が日々携わる建築の仕事でも、そのことはちゃんと意識されているでしょうか?
安く、早くという人間の都合が加速度的に高まる現代だからこそ
使い捨てでなく、愛着を感じて暮らせる場をつくることの大切さを感じます。
 
 

人がつくった聖域2

空に向かって伸びる常緑広葉樹と落葉広葉樹
 
明治神宮の参道
その参道を包み込むように大樹が広がっています。
 
太古の昔から存在する原生林のような迫力がありますが
実は、この杜は大正時代に人の手によって生み出されたものです。
 
 
 
 
 
参道沿いの案内書きによると
ここは江戸時代には加藤家と井伊家の庭園があった場所で
明治時代に皇室の料地になりました。
 
しかし、その後、明治の終わりには荒地となっていましたが
明治神宮の造営にあたり、豊かな杜をつくることが計画されたのです。
 
計画を担った本多静六、本郷高徳、上原敬二らの専門家は
人の手によらない「永遠の杜」を実現することをめざしました。
 
それは、
成長の早い針葉樹がまず育ち、その後は徐々に広葉樹に置き換わり
150年かけて人の手を離れて自然に循環していくという
自然の摂理を尊重した遠大な計画でした。
 
全国から10万本の樹木が奉納され、
植林や参道づくりにはのべ11万人の青年が勤労奉仕を行ったそうです。
(以上、明治神宮の公式サイト、およびNHKスペシャルより)
 
 
 
 
 
現在の参道脇には、朽ち果てた倒木の脇から新芽が芽吹いており
確かに自然の循環が行われていることがわかります。
 
環境問題への関心が高まる中、
目先の成果だけにとらわれず、時間がかかっても自然の持続性を尊重する
この神宮の杜の営みは多くの示唆を与えてくれます。
 
 
 
 
 
早朝の参道では、「はきやさん」とよばれる職人が
長い柄のほうきを巧みに使って、参道をきれいにしていました。
 
ここで集められた落ち葉は、再び杜に返されて
杜の循環に生かされるのです。
 
100年の時を経て、人の手を離れて循環し始めた杜は、
わずかに人の手を借りながら自然のもつ豊かさを持続させていきます。
 
自分が目にすることのできない150年後の計画をつくった専門家たち、
そして樹木を奉納し、労働を捧げた、たくさんの人々。
 
そこにうかがえる「利他のこころ」が
この聖域の精神性にあらわれているような気がしてなりません。
 
 
 

人がつくった聖域

4月に訪れた明治神宮
 
若い頃からなぜか神社や寺院に惹かれ、
仕事で休みが取れると、よく京都や奈良に出かけていました。
 
特に古いから好きというわけでもないのですが
俗世間にはない聖なる場所のもつ精神性に惹かれたのでしょう。
海外でも教会やモスクへはよく足を運び、同様の感覚を覚えてきました。
 
明治神宮は今回が初めての参拝で、自然とこころが引き締まります。
原宿駅側の入口からちょうど工事中だった鳥居の脇道を抜けて
見えてきたのがこの南参道です。
 
原宿の賑やかなまち並みからわずか数分足らずでこの景色に一変、
早朝の境内は空気が澄みわたり、まさに聖なる世界へタイムスリップ。
 
おおらかにのびる参道は真っ直ぐではなく、ゆったりとカーブを描き
途中にある橋へ向かってゆるやかに下り、そこからまた上っていきます。
両側には参道を覆うように大きな樹々が空間を包み込んでいます。
 
ここには人工的なものはほとんど見当たりません。
あるのはただただ広々とした道と樹々と空だけ。
 
なのに、とても品があって、こころが静かに洗われていくようです。
 
 明治神宮は、大正9年(1920年)に人の手によってつくられた
比較的新しい神社です。
 
しかし、それはむしろ「人の手」というより
「人のこころ」によって生み出されたものなのかもしれません。
 
人がつくったこの聖域は、いかなる思いで生み出されたのか
次回、改めて探ってみたいと思います。
 
 
 
 
 

宇部の家 内装デザイン検討

宇部の家のリノベーション計画、内装デザインの検討中です。
 
既存LDKの天井を取り払い、小屋梁を露出した状態をパースでチェック。
 
天井裏の詳細はまだ正確につかめないので
ひとまずわかる範囲で小屋組を入れて雰囲気をチェックしていきます。
 
この図はキッチンからダイニングを通してリビング方向を見たところ。
その先のプレイルームを抜けて中庭のウッドデッキまで視線が延びていきます。
 
 
 
 
 
リビングからキッチンを見返した図
 
既存のキッチンを大幅にリニューアル、
耐震壁を考慮しつつ、屋外の畑や木々へ視線が抜けるよう
吊戸棚はあえて割愛し、新たに大きな窓を設けています。
 
キッチンやリビングに必要な備品、子供のワークスペースなど
必要な機能や収納スペースを建主と検討しながらアレンジしていきます。
 
 
 
 
 
 
既存の和室と中庭
 
リビングに隣接する和室(画像奥の部屋)は間仕切りを取り去り
プレイルーム的なスペースへ変換。
 
二間続きだった手前の和室はそのまま残し、
内縁から続く中庭にウッドデッキをめぐらして
和室からの広がりと中庭周りの部屋との回遊性を高める計画です。
 
リノベーションでは予算の制約が大きい場合が多いのですが
それに反するように、改善したいことは沢山あります。
 
 
ご要望が増えれば、その分予算とのギャップが大きくなるため
工事範囲やデザインとコストのバランスを図るのは結構大変です。
 
建主にはその点をご理解いただきながら
打合せを何度も重ねて、ご要望を形にしながら落としどころを探っていきます。
 
 

交流広がる

昨年完成した臼杵の家について
お施主さんのインスタに隣接する広場でのイベントが紹介されています。
 
敷地は臼杵の古いまち並みが残る落ち着いた住宅街にあり
コミュニティ意識の高い地域の広場に面しています。
 
設計を通じて、広場との関係についてお施主さんと様々な意見を交わし
広場とのつながりを大切にすることを共有しました。
 
敷地境界の処理をどうするか、色々な案を検討しましたが
最終的にはあえて塀やフェンスで仕切ることはせず、
イベントなどが行われる際は、敷地も建物も一体で使えるように計画しました。
 
自宅の一角には、その後、ご主人のつくるお菓子を提供するお店が開店。
この家から少しずつ、地域との交流が生まれています。
 
これからもこの家と広場を起点に
地域との交流が広がっていくことを期待しています。
 
 
 

宇部の家 新計画案

昨年から進めてきた宇部の家のリノベーション計画
 
当初は上の模型の左端の南向きの部屋をリノベーションして
セカンドリビングにする計画でした。
 
その後、建主が住まい方を再考され
右端にある既存のリビングを本格的にリノベーションすることになり
改めて計画を練り直し、打合せを重ねてきました。
 
最大の課題は、LDK以外にある6部屋とのつながりがなく
部屋数の割に広さと家族の一体感が感じられないことでした。
 
 
とはいえ、元々の間取りのかたちの制約もあって
LDKとその他の部屋をつないで一体感を出すのに苦戦しましたが
何度も案を練り直し、建主も粘り強く検討していただいたおかげで
今回、ようやくプランの方向性が固まりました。
 
 
 
 
 
 
 
建物の北東端にあるリビングと隣接する部屋たちは
間仕切位置を調整することで視線の抜けをつくり
視覚的なつながりを生み出します。
 
また、既存の天井を取り払い、大屋根で各部屋を空間的につないで
部屋同士の一体感をさらに高めていきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
基本的な間取りはほとんどそのままですが
開口部や間仕切の位置を調整することによって
各部屋のつながりや屋外への広がりを生み出します。
 
 
 
 
 
 
 
キッチンからリビング南側を見たところ
 
リビングの南側には薪ストーブを部屋のシンボルとして設置し
その向こうの植栽、さらにその先の庭へと視線が抜けていきます。
 
薪ストーブの右斜め方向は、南端のウッドデッキまで視線が伸び
どこにいても家族のつながりが感じられる住まいになりそうです。
 
プランがまとまってきたので
これから詳細のデザインをさらに詰めていく予定です。