喫茶 竹の熊

水庭に映る空、そしてその向こうに広がる田園風景

阿蘇山の裾野に位置する熊本県南小国町。豊富な水源に恵まれた小国の里に現れた桃源郷のような喫茶竹の熊。JR九州観光まちづくりAWARD2024の大賞を受賞した、熊本の新たな観光スポットです。

コの字型平面の建築は、山里の風景を最大限に味わうことができるように開放されており、建築によってこの場所のもつ美しさが最大化されています。

 

 

アプローチから室内の喫茶室につながる回廊

細身の骨組み、道路側の視線を制御するために足元だけを開放した土壁、そして田園に向かって架けられた深い軒。衒いのないさりげないつくりですが、余分も不足もない清々しい空間です。

 

 

 

回廊から見た室内の喫茶室

高さを抑えた深い軒下空間が水面に映り込み、建築から水庭、そして田園風景へと空間がゆるやかにつながって、雑味のない調和した風景となっています。

 

 

 

喫茶室の大ガラスを通して望む里山の風景

喫茶室の床は地面を掘り下げてあり、まるで水面に浮かんでいるよう。低い視線から仰ぎ見る風景に広がりが感じられます。

 

 

 

おおらかに開放された吹きさらしの空間

水庭をはさんで喫茶室の向かい側に設けられた半屋外の喫茶空間は、高床になって田園に突き出しており、パノラマ的な開放感がとても気持ちのいい空間です。

細身の柱に支えられた屋根と光を反射する床のみで、ほとんど主張が見えないにもかかわらず、いや主張が見えないからこそ生まれる、風景と一体の気持ちよさ。もし、このあとの予定がなければ、日がな一日、ずっとここで過ごしていたい・・・、そう思えるほどのおおらかでのどかな場所でした。

 

 

 

屋根を支える架構

参加者の間でも話題が飛び交うほどの華奢な骨組は、構造的にどのように処理されているのか?残念ながら解読することはできませんでしたが、空間構成からディテールに至るまで、ギリギリまで突き詰めてデザインされた緊張感には、同じデザインをするものにとって、とても深い刺激となりました。

 

 

太宰府天満宮仮本殿

屋根一面がまるで小さな森のよう・・・

熊本視察へ向かう途中に太宰府天満宮へ寄り道しました。現在本殿の改修中で、本殿の代わりに参拝できる期間限定の仮本殿が建てられています。設計は、大阪万博の大屋根リングで知られる藤本壮介が担当。

藤本氏は若い頃から斬新なコンセプトと建築表現で頭角を現し、最近は国際的なコンペでも活躍めざましい建築家です。ただ、大胆なコンセプトによる建築表現は、プロジェクトの巨大化とともにやや密度が落ちているようにも感じていました。

この仮本殿も建築雑誌で見る限り、緑を載せた屋根の派手さだけが際立つようで、果たして実際の建築はどうなのか、気になっていました。

 

 

仮本殿を横から見るとこんな感じです。建築単体としての存在感が際立っており、境内の伝統的な建築や空間から完全に自立しているようにも見受けられます。

しかし、これはあくまで脇から見た姿。本殿は、なにより正面性が重要な建築で傾斜の急な緑の屋根は、長い参道を歩いてきた参拝者をしっかりと受け止めるためのものでした。そして、それは下の写真でより納得できるものでした。

 

 

楼門をくぐったところで見えるのがこの景色です。

屋根に載せられた緑のボリュームが回廊の外側の緑や遠くの山並みと一体となった風景を創り出しています。建造物としては確かに異質ですが、不思議と違和感を感じません。仮設建築にもかかわらず、普遍性を感じるデザインでした。

 

 

熊本大震災以降の建築について

おびただしい数の石が広場を埋め尽くしています。

建築の設計や施工に携わる地元有志でつくる住まいづくりの会、年に一度の視察旅行で熊本の建築を見て回りました。写真の石は2016年の大震災で被災した熊本城の石垣のものです。熊本の建築といえばアートポリスが有名ですが、今回は「震災以降の熊本」を軸に、県内の建築を巡りました。震災やコロナ禍を経て、人間と建築の関係はどのように変わりつつあるのか?いくつかの建築とともにレポートしていきます。

 

 

 

闇が生み出す光のドラマ

これぞ「陰翳礼讃」という空間

日下部民藝館、表通り沿いの座敷です。                  格子と障子による二重のフィルターを透過した弱い光が拡散するデリケートな空間です。現代のような隅々まで光で満たされた空間と違い、広さも距離感も捉えきれないほど曖昧です。視覚的な情報が抑制されることによって生まれる精神性の高い空間がここにはあります。

 

 

 

中庭からの日差しが差し込む座敷

こちらもほの暗い空間ながら、中庭に繁る木々を通り抜けたわずかな光がガラスを透過して宝石のように輝き、闇のような座敷に奇跡的な瞬間が現れています。

闇が存在することで生まれる光のドラマ                  現代社会が忘れかけている静かで深く心を打つ美がここには息づいています。

 

 

 

確かなプライド

妻側から差し込む光によってほのかに浮かび上がる小屋組

江戸時代、幕府の天領となった高山市で、御用商人として栄えた日下部家。明治8年の大火で一旦焼失し、その後に建てられたのは、江戸期の伝統様式を生かした壮観な造りです。

 

 

高山の豪雪から屋根を支える小屋組は格子状に組まれ、赤松の巨木を使った牛梁でしっかりと支えられています。

豪商の財力と飛騨の匠によって生み出された大空間には、うわべの豪華さだけではない確かなプライドを感じられます。

 

 

 

ストイックの中に宿る美意識

深い軒がつくる陰影と木枠のあかり窓                   雪深い高山では、雪が滑り落ちないよう屋根を緩い勾配とし、軒を深くして足元を雪から守るという、この地固有の建築形態が見られます。木部には煤(すす)を混ぜたベンガラが塗られ、モノトーンながらとても美しい表情です。

 

漆黒の建物のなかに際立つ白く塗られた梁の木口              まるで紋付袴の着物のような引き締まった品格が感じられます。色も素材も形さえも自由自在に選択して表現できる今の時代にあって、ストイックに伝統的なデザインを守り続けている、その精神がなんともクールです。

 

 

 

 

まち並みのもつ価値

通り沿いに置かれた緑の鉢植え                      それぞれの家の前に置かれた鉢植えは手入れが行き届き、潤いのある気持ちのいい通りが形成されています。

まち並みというのは、みんなでつくるもの。                決して一人だけの力で生み出せるものではありません。

そこにくらす人々が美意識を共有し、日々の手入れを怠らずに継続することで成り立つもの。その協調と努力の積み重ねの総和がかけがえのない風景となって現れます。それは、単体の建築とは違う、価値の重みがあります。

 

ちなみにこちらは、2007年に訪れた南フランスのアンティーブ旧市街。石造りの古い建物が連なる細い路地には、高山と同様に、それぞれの家ごとに緑が配されて心地よい雰囲気を提供しています。

歴史や文化は違えど、美しく心地よいまち並みには、共通のエッセンスが感じられます。

 

        

工芸品のような町並み

早朝の高山旧市街

日中は観光客でにぎわうこの界隈に朝の静けさが漂います。         通りの奥まで連なる町並みは、路地も含めた空間全体がひとつの工芸品のようです。ひとつひとつの町家の美しさだけでなく、通り全体で生み出された調和が日本有数の町並みを形作っています。

個と全体の調和、貫かれた美意識、その美意識を維持していくことの大変さも含めて、経済に流されず、かつ経済との両立を実行しているこの町並みが現代の日本にあることに希望を感じます。

 

自然と人間の協奏曲

見事なそり具合、まるで日本刀のようなシャープかつ優美な曲線が美しい。  国宝 瑠璃光寺五重塔の屋根改修工事の見学会に行ってきました。70年ぶりとなる令和の大改修では、主に傷んだ屋根の檜皮葺きを葺き替えます。

 

葺替え前の屋根の写真                          茶色い屋根に白く毛羽立ったように見えるのは、檜皮を留めていた竹釘です。檜皮は、樹齢70年以上の生きたヒノキの表面にある樹皮を剥ぎ取ったものでとても貴重なもの。檜皮葺きの寿命は本来25〜30年とのことなので、すでに耐用年数をかなり過ぎており、写真のような状況になるのも無理はありません。

 

葺替えが終わった最上層の屋根                      優美なそりを見せる3次曲面は、自然のままの檜皮を数十万枚重ね合わせ、人間の手仕事によって作り出したものです。

 

葺替えられた屋根を近くから見たところ。                 ランダムにうねる檜皮の表面はまるでざらついた動物の皮膚のようですが、一枚一枚の重ねしろは4分(約12ミリ)にそろえられており、一つの大きな屋根としてみたときにはとてもなめらかで美しい表情となるのです。

ひとつとして同じものがない自然物である樹皮を巧みに組み合わせ、全体として美しい屋根を生み出す、途方もないような匠の技です。それは、最先端のデジタル技術でもなし得ない、自然と人間の協奏曲です。

日本人の培ってきた美意識と技術の奥深さを目の当たりにして、身震いがする思いです。