夏の高野山5

大木の足元に並ぶ地蔵たち
 
設置されてかなり時を経ているのか、どの像も苔むしていて
木の根に押し上げられて、列にかなりの乱れも見られます。
左から二番目の地蔵の頭部はほとんどが欠けて表情もわからないほどです。
 
ここまで荒れ果てると、打ち捨てられたようにも見えるけれど、
前掛けだけは、新しいものがかけられていることから
信仰は生き続けていることがわかります。
 
そこには、
目に写る「かたち」以上の大事なものが確かに存在しており
建築とは別物ながら、本質の通ずるものが見えるようです。