ヘリテージマネージャー養成講座で下関の近代建築を視察しました。
この建物は1924年、旧逓信省下関電信局電話課庁舎として建てられ
現在は、下関市の施設として利活用されています。
列柱やアーチなど、西洋の様式が随所に見られますが
どことなく変なところがあります。
建物外周に並ぶ柱は本来その上の梁(横架材)を支える役目がありますが
この柱は建物の途中で止まってその上に支えるものがありません。
古典様式が持っているはずの構造の合理性から脱却し
建物を構成する要素を装飾としてコラージュしているのです。
そこには、明治維新を経て大正という新たな時代を迎えた
建築家たちの野心的な心意気が感じられます。
そう思ったら、なぜか隈研吾のM2を連想してしまいました。
(隈研吾建築都市設計事務所HPより)
隈さんがデザインしたM2も
都市の表層に現れるものたちをコラージュしたデザインです。
当時30代でデザインしたM2はとても野心的で
その分、見ようによっては見苦しくも感じられて
竣工当時はかなり酷評されました。
しかし、この下関の建物と照らし合わせてみると、
どちらも時代を超えていこうとする意欲がみなぎっていて
とても興味深いです。