修学院離宮から京都市街をのぞむ。
市街地の手前、離宮に隣接して田畑が広がっています。
もともと、後水尾上皇がこの地に離宮を造営した際、
周囲の田畑を残し、耕作する農民の姿も自然風景に取り入れたそうです。
徳川幕府との確執から天皇を退いたのち、
上皇はこの離宮で農民と会話し、市井の動きに耳を傾けていたと言われます。
離宮は上皇の死後、次第に衰退、
明治の初めには見る影もないほどに荒れ果てたそうですが
明治天皇の御幸に合わせて再整備され、現在の美しい姿を取り戻しています。
昭和39年には宮内庁が土地を買い上げ、
景観保護のために地元農家と契約して耕作されているそうです。
皇族の離宮と田畑の取り合わせは少し意外でしたが
市井の営みと共にある離宮の風景に、現代に通ずる日本独自の平和を感じます。
2017.7.7 設計事務所 TIME