手前に見えるのは内縁、つまり室内。
腰から上はすべてガラスで意識は外へ抜けていきます。
一方、その向こうに見えるのは濡れ縁、つまり屋外。
しかし、庇が深くかかり、意識は家の中にいるようです。
そしてその動線の交わるところに開き戸があり、
たぶん無意識にそうしたのでしょうが、世界が変わることが暗示されます。
どこからが外でどこまでが内なのか、
意識があいまいなまま外と内が交錯する不思議な空間です。
手前に見えるのは内縁、つまり室内。 腰から上はすべてガラスで意識は外へ抜けていきます。 一方、その向こうに見えるのは濡れ縁、つまり屋外。 しかし、庇が深くかかり、意 … “伊勢・京都視察13” の続きを読む
手前に見えるのは内縁、つまり室内。
腰から上はすべてガラスで意識は外へ抜けていきます。
一方、その向こうに見えるのは濡れ縁、つまり屋外。
しかし、庇が深くかかり、意識は家の中にいるようです。
そしてその動線の交わるところに開き戸があり、
たぶん無意識にそうしたのでしょうが、世界が変わることが暗示されます。
どこからが外でどこまでが内なのか、
意識があいまいなまま外と内が交錯する不思議な空間です。