神水公衆浴場

 

菱形状に組まれた梁が目を引く軒天井は、ガラスを透して室内までつながっています。上階の屋根はボールト形状で、窓も含めた厳格な左右対称の構成は、紛れもなく建築家のデザインです。

 

 

しっかりとデザインされたこの建築、実は公衆浴場です。しかも、経営しているのは構造設計事務所の所長という異例の組合せです。

所長の黒岩氏はもともとこの神水の地で生まれ育ち、地元に根ざして設計活動を行っていたところに2016年の熊本地震で被災。その際に地域の人たちが風呂に入れずに苦労していたのを見て、自宅の再建にあたって、地域貢献のために自宅の1階を銭湯にしたとのこと。なんという志でしょう!

とは言え、この時代に銭湯経営はなかなか容易ではないはず。自宅風呂の普及や燃料費の高騰などで銭湯は年々数が減っています。

一方でここ数年、新たな付加価値を加えた銭湯のニューウェーブともいえるような動きが全国各地で興っています。地域貢献と防災拠点という視点から生まれたこの銭湯も、建築的なユニークさを併せ持つ銭湯としてとても興味深い存在です。

 

 

建築的な興味もくすぐる銭湯にいざ入浴!                 浴場の天井も菱形の骨組みが現しになっていて壮観です。

「重ね透かし梁」という伝統構法を応用した構造は、震度7を2回も経験した構造設計者としてのこだわりが形になったものでしょう。

 

 

洗い場から浴槽まで一体の人研ぎ仕上げが新鮮な懐かしさを感じさせます。腰壁上の銭湯絵もなかなかユニークで、いろいろとこだわりが詰まっています。

災害支援や地域交流など、行政の手が行き届きにくいまちの細部において、人と人のつながりから組み立てていった建築のあり方は、過去のアートポリスとは一味違う建築の新たな方向性を示しているようです。

 

 

熊本地震震災ミュージアム 展示棟

アクロバティックな造形が目を見張る建築は震災ミュージアムKIOKU     パッと見ただけでは空間構造がどうにもつかみきれません、

 

 

施設の全体マップ                      (熊本地震震災ミュージアムKIOKU ホームページより)

弓なり状の細長い三角形平面の展示棟を2つ繋げたような、なんとも独創的な造形です(図中右側のオレンジ色の部分) 

平面形状を見る限り、動線がそのまま空間になったような建築で、展示をするためのまとまった空間がとりにくそうにも見えますが、果たして室内空間はいかに・・・

 

 

 

実際に中に入ってみると・・・

写真の奥が展示室入口で、天井も低く通路の幅ほどの大きさしかありませんが、そこから末広がりに空間が膨らんで、展示スペースにたどり着きます。

3次元的に抑揚のある空間造形でありながら、不思議と違和感はなく、気がつくと、自然と展示空間にたどり着いていた、といった空間になっていました。

 

 

 

展示室入口から展示室内を見たところ

展示室は入口から膨らむとともに大きな開口部で阿蘇の風景と一体となった空間になっています。それは閉鎖型の展示空間とはまったく異なる固有の場所性をもったもので、震災とともにこの場の記憶が刻まれていくようです。

 

 

 

外観も独創的ですが、阿蘇特有の雄大な風景と呼応するランドスケープのような建築となっています。

そして、唯一無二のデザインは、場所から自立した概念的なものではなく、しっかりとリアリティを持っていて、新たな建築の可能性を感じるものでした。

 
 

熊本地震震災ミュージアム 震災遺構

 

2016年の熊本地震で破損した東海大学阿蘇キャンパスの校舎       各階の床には激しく亀裂が入り、サッシュは歪み、ガラスが割れています。損壊した校舎は記憶をつなぐ震災遺構として、そのままの状態で保存されています。

今回、ボランティアガイドの説明などで、震度7の前震と本震の間に、さらに震度6の余震に2回もあっていたことを知りました。想像を絶するとはこのことですが、地震を引き起こした活断層がそれまで未知の存在であったことを考えれば、改めて日本のどこで同じことが起こってもおかしくないことを肝に命じなければと思うのです。

 

 

地表に現れた断層                            長さ50mにも及ぶ断層が校舎のすぐ目の前まで達しており、この断層が校舎を貫いて建物を大きく破壊したことがわかります。

 

 

割裂したコンクリートの柱

阪神大震災でも同様の破壊状況をテレビや雑誌などで見て知ってはいましたが、実際に破壊された建物を直に見ると、その凄まじさがまざまざと感じられます。

 

 

校舎は損壊した建物の両側も含め3棟の建物がつながっていました。写真右が損壊した中央棟。両側の建物は地震の3年前に耐震補強されていたそうで、ほとんど被害は見られません。この建物を残してくれたことで、改めて耐震補強の重要性も肌で感じることができました。

東日本大震災の震災遺構や太平洋戦争の遺構である原爆ドームなど、建物は災害や戦争による悲惨さをダイレクトに伝えてくれるとても貴重な存在です。被災された方にはとても辛い存在ではありますが、それでも残された建物は、生きている我々にとって、未来への大きな教訓を示してくれる存在でもあります。

 

 

喫茶 竹の熊

水庭に映る空、そしてその向こうに広がる田園風景

阿蘇山の裾野に位置する熊本県南小国町。豊富な水源に恵まれた小国の里に現れた桃源郷のような喫茶竹の熊。JR九州観光まちづくりAWARD2024の大賞を受賞した、熊本の新たな観光スポットです。

コの字型平面の建築は、山里の風景を最大限に味わうことができるように開放されており、建築によってこの場所のもつ美しさが最大化されています。

 

 

アプローチから室内の喫茶室につながる回廊

細身の骨組み、道路側の視線を制御するために足元だけを開放した土壁、そして田園に向かって架けられた深い軒。衒いのないさりげないつくりですが、余分も不足もない清々しい空間です。

 

 

 

回廊から見た室内の喫茶室

高さを抑えた深い軒下空間が水面に映り込み、建築から水庭、そして田園風景へと空間がゆるやかにつながって、雑味のない調和した風景となっています。

 

 

 

喫茶室の大ガラスを通して望む里山の風景

喫茶室の床は地面を掘り下げてあり、まるで水面に浮かんでいるよう。低い視線から仰ぎ見る風景に広がりが感じられます。

 

 

 

おおらかに開放された吹きさらしの空間

水庭をはさんで喫茶室の向かい側に設けられた半屋外の喫茶空間は、高床になって田園に突き出しており、パノラマ的な開放感がとても気持ちのいい空間です。

細身の柱に支えられた屋根と光を反射する床のみで、ほとんど主張が見えないにもかかわらず、いや主張が見えないからこそ生まれる、風景と一体の気持ちよさ。もし、このあとの予定がなければ、日がな一日、ずっとここで過ごしていたい・・・、そう思えるほどのおおらかでのどかな場所でした。

 

 

 

屋根を支える架構

参加者の間でも話題が飛び交うほどの華奢な骨組は、構造的にどのように処理されているのか?残念ながら解読することはできませんでしたが、空間構成からディテールに至るまで、ギリギリまで突き詰めてデザインされた緊張感には、同じデザインをするものにとって、とても深い刺激となりました。

 

 

自然と人間の協奏曲

見事なそり具合、まるで日本刀のようなシャープかつ優美な曲線が美しい。  国宝 瑠璃光寺五重塔の屋根改修工事の見学会に行ってきました。70年ぶりとなる令和の大改修では、主に傷んだ屋根の檜皮葺きを葺き替えます。

 

葺替え前の屋根の写真                          茶色い屋根に白く毛羽立ったように見えるのは、檜皮を留めていた竹釘です。檜皮は、樹齢70年以上の生きたヒノキの表面にある樹皮を剥ぎ取ったものでとても貴重なもの。檜皮葺きの寿命は本来25〜30年とのことなので、すでに耐用年数をかなり過ぎており、写真のような状況になるのも無理はありません。

 

葺替えが終わった最上層の屋根                      優美なそりを見せる3次曲面は、自然のままの檜皮を数十万枚重ね合わせ、人間の手仕事によって作り出したものです。

 

葺替えられた屋根を近くから見たところ。                 ランダムにうねる檜皮の表面はまるでざらついた動物の皮膚のようですが、一枚一枚の重ねしろは4分(約12ミリ)にそろえられており、一つの大きな屋根としてみたときにはとてもなめらかで美しい表情となるのです。

ひとつとして同じものがない自然物である樹皮を巧みに組み合わせ、全体として美しい屋根を生み出す、途方もないような匠の技です。それは、最先端のデジタル技術でもなし得ない、自然と人間の協奏曲です。

日本人の培ってきた美意識と技術の奥深さを目の当たりにして、身震いがする思いです。

 

 

グラントワと内藤廣

水平のプロポーションがとても美しいグラントワの中庭
 
 
 
 
 
 
中心に水盤が配された45m角の中庭は市民に開放された
おおらかでとても気持ちのいい公共空間です。
 
 
 
 
 
 
グラントワのある益田市人口5万ほど、
このような小さな地方都市で
これほど豊かなオープンスペースはなかなか存在しないかもしれません。
 
この豊かな空間をデザインしたのが建築家の内藤廣氏、
昨日、NHKの日曜美術館で、その内藤さんが特集されました。
 
日曜美術館(見逃した方は今度の日曜日、午後8時から再放送あり)
 
 
 
 
 
 
グラントワでは現在、内藤廣氏の展覧会
 
内藤さんがこれまで実現してきたした建物、
そして残念ながら実現されなかった設計案など
膨大な量の図面・スケッチ、そしてリアルな模型とともに
建築に込めた思いに触れることができます。
 
ちなみに、わがまち周南市の徳山駅前図書館も展示されています。
 
 
 
 
 
 
展覧会初日には内藤さんの講演会も開かれ
グラントワを設計したときの経緯や設計のこだわりなどを聴くことができました。
 
展覧会は12月4日(月)まで長期間、開催されています。
 
地方都市でこれほどの規模の展覧会はとても貴重で
しかも建築家自身が設計した建物とともに見学できるのは
なかなかない機会でしょう。
 
建築やまちづくりに興味のある方は
ぜひ見学に行かれることをお薦めします。
 
 
 
 
 
 
そして、こちらはおまけですが・・・
 
グラントワから車で10分ほどのところにある
うどんの自販機コーナー
 
NHKのドキュメント72時間でも放送された
知る人ぞ知るスポットです。
 
 
 
 
 
 
とてもオーソドックスなうどんやそばですが
なぜかホッとするおいしさがじわーっと心に染みます。
 
 
 
 
 
 
無人の休憩スポットは最低限のしつらえしかありませんが
気軽で美味しい食べ物、椅子とテーブル、気持ちいい川沿いの空間という
最強の三点セットが整った穴場スポットです。
 
混み合うほどの賑わいではないけれど
なぜか立ち寄る人の絶えない、
エッセンスのあるコミュニテイスペースです。
 
 
 


 

 

アノニマスな存在感

KATACHI museumに展示されているおろし器たち
 
金属製や木製にハイブリッドなものまで
おろし器一つとっても実に多様なかたち(デザイン)があります。
 
 
 
 
 
 
こちらの金属製のおろし器はポンチのようなもので
間隔をあけて穴が開けられています。
 
しかし、その穴たちは必ずしも同じ間隔ではなく
それなりに適当なズレがあります。
 
 
 
 
 
 
木製のおろし器
 
板のかたちはかなり大雑把です。
 
庶民が使う道具なので、そこに美意識は必要なく
安価に作れる道具としての必然性がそのままかたちになっています。
 
そこには、
正確につくられる工業製品とは違う素朴さや温かみがあり
ただの道具なのにアノニマスな、ものとしての存在感があります。
 
 
 
 
 
 
工業製品にはない素朴さという意味では
大津島の石柱庵もそれに通ずるところがあります。
 
100年以上前、切石を柱に、木の丸太を梁に使い
掘っ立てたような倉庫だったこの空間。
 
そのアノニマスな空間は茶室として読み替えることで
現代建築では表現できない独自の存在感が生まれています。
 
 
 

時代を超えるデザイン

 
ヘリテージマネージャー養成講座で下関の近代建築を視察しました。
この建物は1924年、旧逓信省下関電信局電話課庁舎として建てられ
現在は、下関市の施設として利活用されています。
 
列柱やアーチなど、西洋の様式が随所に見られますが
どことなく変なところがあります。
 
建物外周に並ぶ柱は本来その上の梁(横架材)を支える役目がありますが
この柱は建物の途中で止まってその上に支えるものがありません。
 
古典様式が持っているはずの構造の合理性から脱却し
建物を構成する要素を装飾としてコラージュしているのです。
 
そこには、明治維新を経て大正という新たな時代を迎えた
建築家たちの野心的な心意気が感じられます。
 
そう思ったら、なぜか隈研吾のM2を連想してしまいました。
 
 
 
 
 
 
隈さんがデザインしたM2も
都市の表層に現れるものたちをコラージュしたデザインです。
 
当時30代でデザインしたM2はとても野心的で
その分、見ようによっては見苦しくも感じられて
竣工当時はかなり酷評されました。
 
しかし、この下関の建物と照らし合わせてみると、
どちらも時代を超えていこうとする意欲がみなぎっていて
とても興味深いです。
 
 

早く作ったものは長持ちするか?

前回、明治神宮内苑につくられた人工の杜についての話をしました。
もともと荒地だった場所に150年後に自然循環する杜をめざして計画され
見事に実現した姿を今に示していました。
 
現在、神宮外苑では再開発の計画が進められています。
 
三井不動産が公表した外苑地区再開発のイメージ
 
現在ある神宮球場や秩父宮ラグビー場を建替え、
新たに商業施設やオフィス、ホテルなどの高層ビルも計画されています。
 
再開発に伴い、
約900本の既存樹木が伐採され植え替えられるとのことで
樹齢100年以上の樹木などの景観が失われることに対して
一部には計画内容に反対や批判の声が上がっているようです。
 
既存樹木は伐採されるだけでなく、新たに植樹もされるようですが
その植樹は必ずしも土地の植生や土壌に合わないとの指摘もあります。
 
建物の大規模化による緑との景観上のバランスも懸念されるところで
将来に禍根を残さないかが気になるところです。
 
 明治神宮内苑で生み出された150年後を見据えた杜づくりと
経済利益優先にも見える神宮外苑の再開発の動き。
果たして、どちらが未来に渡って長く愛されるのでしょうか?
 
建築にはその時代の人々にとっての役割があり、
当然ながら、それに応えることが求められます。
 
一方で、目先の役割や事業の収支だけでなく、
時代を超えて長く愛され続けることも建築の重要な役目です。
 
 
「早く作ったものは長持ちするか?」
 
 
いつも考え続けている私の問いです。
 
長く、愛着が感じられる場は一朝一夕には生まれないのではないか?
焦らずに時間をかけて丁寧に丁寧に吟味しながらつくったものでしか
生まれないものがあるのではないか?
 
150年後を見据えた神宮の杜の営みを見るにつけ、そのことを思います。
 
翻って
我々が日々携わる建築の仕事でも、そのことはちゃんと意識されているでしょうか?
安く、早くという人間の都合が加速度的に高まる現代だからこそ
使い捨てでなく、愛着を感じて暮らせる場をつくることの大切さを感じます。
 
 

10年という時間

 
今も鮮明に思い出される津波の光景、
あの日を境に日本人の防災意識は高まりました。
 
しかし、あれから10年、
あの日の防災意識をキープできているでしょうか?
(まさに自分にも問いかけ直しているところです)
 
この間に地震や台風、集中豪雨など
日本各地で大きな被害は続き、今は感染症に悩まされています。
 
「まさか、こんなことになるとは・・・」
 
「こんなことは初めて」
 
被災した人たちのインタビューでたびたび聞かれるこの言葉、
日常が平安であればあるほど、自然は不意をついてきます。
 
「天災は忘れた頃にやってくる」
 
物理学者、寺田寅彦が発したと言われるこの言葉があります。
人間は忘れやすい生き物で、時に慢心すらしてしまいます。
 
「世の中が安全になればなるほど、人間の危機意識は弱まるのか?」
 
毎年、高専の授業で学生たちに語りかける命題です。
 
安全や防災は意識し続ける努力をしないと「愛する人」さえ守れないかもしれない。
それは、「平和」と少し似ている気がします。
 
 

2021.3.11 設計事務所 TIME