夏の高野山6

杉木立と墓碑たち
 
20万基を超える墓碑が並ぶ奥の院。
それらは杉の木立の中に無造作に置かれているようにも見えます。
 
人の手によって整備され、整然と並ぶ西洋の墓地とは違い
自然の地形の中に場当たり的に置かれたような墓地の風景。
 
それは、
あるがままの自然に応じていくという
日本人独特の自然観が無意識に現れているのかもしれません。
 

夏の高野山5

大木の足元に並ぶ地蔵たち
 
設置されてかなり時を経ているのか、どの像も苔むしていて
木の根に押し上げられて、列にかなりの乱れも見られます。
左から二番目の地蔵の頭部はほとんどが欠けて表情もわからないほどです。
 
ここまで荒れ果てると、打ち捨てられたようにも見えるけれど、
前掛けだけは、新しいものがかけられていることから
信仰は生き続けていることがわかります。
 
そこには、
目に写る「かたち」以上の大事なものが確かに存在しており
建築とは別物ながら、本質の通ずるものが見えるようです。
 
 
 

夏の高野山4

杉木立の中に並ぶ五輪塔
 
奥之院の入口、一橋から空海が入定した御廟までの約2キロの道行きには
20万を超える数の墓石や慰霊碑が建ち並んでいます。
 
五輪塔と言われるこの墓塔は、下から地・水・火・風・空を表し
仏教の五大(宇宙を構成する要素)を形にしたものだそうです。
 
様式化されたデザインの奥には、石を積み上げて供養するという
人間のもつ根源的な心理が宿っているように感じられます。
 

夏の高野山3

高野山二大聖地のひとつ、奥之院の入口
 
入口、つまり表玄関ですが
日本の宗教的な空間というのは実に奥ゆかしい。
 
 
神社ならまだ鳥居があるのでしょうが、
ここにあるのは俗世と聖域を分かつ石橋、
そして、杉の巨木に覆われた曖昧な空間のみ。
 
しかし、それが故に
「何かありそうな」神秘的な雰囲気が
実体の空間以上の広がりを人間にイメージさせるのかもしれません。
 
そして、その広がりに値する、いやそれ以上の世界が
ここから歩いていく2キロの空間に展開しているのです。
 
 
 

夏の高野山2

夕日が漏れる杉木立ち。
静寂に満ちた高野山の森は神聖な場所にふさわしく、実に神々しい。
 
時は本地垂迹の盛んな9世紀前半、
神の化身に導かれてこの地にたどり着いたと言われる空海は
その空気感を維持したまま、この地を現代にまでつないでいます。
 
 

夏の高野山1

抜けるような青空とそびえる杉木立。

猛暑が続くまちを脱け出し、高野山に行ってきました。
いまから1200年前に弘法大師、空海によって開かれた高野山、
俗界から隔絶された標高800mの山中にどんな世界が展開されているのか、
レポートしていきます。
 
 

自然のもの、ありふれたもの

竹の軒樋
 
京都にある茶室や数寄屋では、竹を半割りにして
樋として使う事例がよく見られます。
 
どこにでもある竹という素材を使ったストレートな表現ですが
素人のセルフビルドとは一線を画すセンスが感じられます。
 
 
 
 
 
 
こちらは苑路の縁に使われたクヌギの皮付き丸太
 
自然のものに最小限の手を加えるだけで、
ありふれた素材を無造作に使ったように見せています。
 
 よく公園などに使われているのはフェイク(擬木)ですが
これは正真正銘のホンモノ。
クヌギは結構硬い木なので丈夫なのかと思い、係の人に聞いてみると
実際にはそんなに長持ちするものじゃないそうです。
 
竹にしてもクヌギにしても自然のものは朽ちてしまうので
手入れや交換に絶えず手間がかかります。
 
正確で丈夫で手入れの楽なものは今ではいくらでも手に入りますが
残念ながらそれらには文化の香りがありません。
 
ありふれたものにわざわざ手間をかける、
合理性の対極にこそ、日本文化の本質が香り立ちます。
 

離宮と田園

修学院離宮から京都市街をのぞむ。
 
市街地の手前、離宮に隣接して田畑が広がっています。
もともと、後水尾上皇がこの地に離宮を造営した際、
周囲の田畑を残し、耕作する農民の姿も自然風景に取り入れたそうです。
 
徳川幕府との確執から天皇を退いたのち、
上皇はこの離宮で農民と会話し、市井の動きに耳を傾けていたと言われます。
 
離宮は上皇の死後、次第に衰退、
明治の初めには見る影もないほどに荒れ果てたそうですが
明治天皇の御幸に合わせて再整備され、現在の美しい姿を取り戻しています。
 
昭和39年には宮内庁が土地を買い上げ、
景観保護のために地元農家と契約して耕作されているそうです。
 
皇族の離宮と田畑の取り合わせは少し意外でしたが
市井の営みと共にある離宮の風景に、現代に通ずる日本独自の平和を感じます。
 
 

自然以上

修学院離宮、浴龍池
 
標高137mの山あいに位置する4500坪あまりの広大な池は
比叡山からの谷川をせき止めて造られた人工池なんだそうです。
 
その池の奥、山の中腹に上の茶屋、隣雲亭がかすかに垣間見えます。
 
 
 
 
 
隣雲亭から見た浴龍池と京都北山の山並み
 
修学院の核心はこの大パノラマの風景にあります。
自然を大胆に造成しながらも、決して人工的な嫌味が感じられません。
 
大胆なランドアートでありながら、見事に自然と溶け合って
自然以上の美しい風景を生み出しています。
 
 
 

緻密な仕事の積重ね

修学院離宮、竹垣

6/16の竹垣でも触れましたが、ありふれた素材を精緻に仕上げています。
竹を並べた縦のリズムとそれを留める釘の横のリズムが
別々のレイヤを重ね合わせたような重層する表情を醸し出しています。
 
 
 
 
 
その竹垣の笠木、端部のディテール
 
山形の断面に被せた板金が数ミリ出ており、わずかに水を切ろうとしています。
ディテールというにふさわしい、緻密な仕上がりです。
 
 
 
 
 
竹垣足元の石垣
 
亀甲に象られた石が隙間なく組み合わされて
素材の風化によって、その目地すらも曖昧になっています。
 
 
これらの仕事に共通するのは、
飾り立てることではなく、緻密な仕事の積み重ねによる存在感。
 
一体どれほどの手間がかかっているのだろうと
想わずにおれない、仕事ばかりです。